そろそろ種を蒔きたい

 

 今の日々はかなり不安定な土壌の上に成り立っていて、下の土ばかりに気を取られていると今度は目の前のことが全く見えなくなり、ただ動くのが怖くてうずくまっているようなものである。こんな風にいうと可哀想に思えるが、地面に水をまいたのは僕だし、その場に好んでうずくまっているのもまた僕であるので、そう考えると致し方ないと思う。

 

目の前のもやが晴れるようにと書店に行っては本を買い、メルカリでは欲しい本を探す努力を惜しまない。狭い部屋には寝るスペースのほか至るところに本が散らばり、お金はないはずなのにあまりにたくさん本が出てくるので、家族は僕のことを奇術師か何かではないかと訝しんでいる。

 

この後の人生は、そんな風にして本を読んでいた日々をいかに思うかで変わってくると思っている。自分を正当化するわけではないが、本が悪くないということだけは言っておかなければいけない。本だけが今自分のいるぬかるんでいる土壌を豊かにしてくれると思う。

 

 『アラブ、祈りとしての文学』を途中まで読む。文中に引用される小説の部分を読むことで、パレスチナ難民であり作家である人たちのまなざす物語に触れる。その物語の先にある風景を僕は知ったとはとても言えないが、それを読むことを通して遠くの地に想いを馳せる。この本のよいところは、著者が様々な物語を引用しながらパレスチナの歴史的背景にも触れてくれるところで、そこで何が起きているのかわからない人も手に取りやすいと思う。著者のメッセージも力強くうつくしい。

 

 『白鯨』は序盤でつっかえている。出てくるモチーフや、言葉自体に慣れずなかなか読み進められないのである。自分が神話などに馴染みがないことも影響しているのだろうか。いずれにしても、この物語を年内に読み切るのはなかなか難しいので、図書館で借りている本を先に読もうか迷っている。 

 

 クリスマスのプレゼント交換のためのプレゼントを買い、日用品の買い物をすませながら、もうすぐ終わる1年のこと、なかなか読み終わらない本のことを思った。